植物という生きものを素材に作品を制作している東信にとって、その生死がもたらす形態の変化は、非常に重要な要素として常に作品に組み込まれている。ただし注意したいのは、その生と死は、単純にどちらかに分類できるものではないということだ。植物を育てた経験を持つものであれば誰でも知るように、生きていれば生長や衰弱があり、あるいは大地から切り離され、生きものとしては死に近づいている場合でも、その様相は一定ではない。
たとえば、東の《Concrete×Bulb》(2008年)は、コンクリートの壁に穴を穿ち、そこに植えたアマリリスの球根の生長の過程を見せた作品である。球根が硬質なコンクリートの壁から生長していき、最終的に赤い花まで咲かせる様は、人工と自然というともすれば単純化される対比を超えて、現代における植物の強靭な生命力をあらわにした。対照的に《Drop Time》(2010年)は、死に至る儚さを伴った植物の変貌を見せる作品だった。東によって生けられた花は、枯れていく過程を定点観測で撮影され、ムービーに仕上げられたのである。次第に花々は形を崩し、鮮やかな色を失い、透明だった花器の水を濁らせていく。
東にとって、植物を素材にしているからこそのこういった変化は、日々植物を取り扱っている経験によって予測できる側面もあるに違いない。一方、それでもなお、東に予測不可能な姿を植物が見せることがある。
《BOX FLOWERS》(2015年)は、約200種類、およそ6000本もの切り花を重ね、四角形=BOXを形作った作品だ。本来は大地から垂直に生えている花を横たわせる——この着想源は、メキシコの町を訪れた折に東が目にした、人によって多数束ねられた花の姿である。そこからアイデアを膨らませ、自然にはない状況を作り出すことによって新しい花の姿を作り出すことを目指した本作は、事実、膨大な数の花々によって、高さ・幅・奥行きいずれも1200mm、重量にして200kgの巨大な花の塊としてあらわれた。
したがって初見の私の視線は、まずこれまで目にしたことがない花々のヴォリュームに対してそそがれた。圧縮された花々は、互いが互いを潰しあっているかのようでもあり、実に暴力的だった。
他方、その場で見続けるにつれ、異なる印象も浮かんでくる。横たわる花々の集合が、まるで多くの人々がその場に花を手向けた=献花の結果であるかのようで、作品の背後になにかが祀られているかのように思えてきたのだ。ないしは、作品の四角形という形態が、それ自体奉られる対象としての棺を連想させた。
リュシアン・ギヨーとピエール・ジバシエの共著による『花の歴史』は、古代さまざまな民族が、礼拝や儀礼などで神や死者への供物として花を捧げていたことを、「古代の諸民族における花」の一節で記している。たとえばインドでは、「花はまた神への捧げものとして使われた。(中略)献花は仏教の儀式の殆んどすべての場合に行われる。花を神に供えるだけでなしに、犠牲を花で飾り、香水と一緒にまく。神聖な建物の柱や回廊を花綱や花輪で飾りつける。祭日には仏陀の歯が入っている容れものの前に花を供える」(訳・串田孫一、白水社、1965年3月、15-16頁)という。
もしかしたら花器すらなかった頃に、相手が神であれ、生者であれ、死者であれ、花を切り取り、贈った人がいた。そのはじまりを明らかにすることは難しいが、《BOX FLOWERS》は、確かに自然にはない花の状況を作り出しながら、そういった人と花との関わりのはじめを連想させる原始的な野性と聖性も同時に含んでいる。アジア・太平洋戦争敗戦から70年が経つ今年、東が広島・長崎を訪ね、原子爆弾が落とされた8月6日と8月9日にそれぞれの慰霊碑に献花したように、ときに花は私たちと目に見えないものとの媒介者になる。私にとって完成したばかりの《BOX FLOWERS》は、そのことの象徴であるかのようだった。
それだけではない。東は《BOX FLOWERS》で花々を重ねるにあたり、四角形に成形するための特殊な器材を用いなかった。すなわち《BOX FLOWERS》は、時間の経過によって花々の状態が変化し、形状が四角から崩れていくことまでも含めて作品化されたのである。約ひと月の間、都内のスタジオに設置された作品は、次第に形を変化させていくことが予見されていた。《Drop Time》同様、椎木俊介がその変化を定点観測的に写真におさめている。
この花々の変化は、東にとっても予想を大きく上回るものだったのではなかったか。水分を失うことによってか、まず《BOX FLOWERS》はそのかさを日に日に縮ませていった。同時に、花々はその種類や積まれている場所の違いによる加重の差異によって、それぞれ色を変化させていった。腐り、黴を発生させるものもあれば、一見変化の認められないものもあった。さらに、なにより著しい変化は、さながら血液のように、黒みをおびた液体がその全体から流れ出したことだった。その圧倒的な変貌は、まるで切り花として一度死んだ花々が、《BOX FLOWERS》としてひとつの命の塊として再生したのち、再び死んでいったかのように私には見えた。最終的に、かさは当初の半分以下になっていた。
こうした生きものの死に方とでもいうべきものを、私たちはひとつの絵画によって既に教えられている。鎌倉時代から江戸時代にかけて絵画の主題として描かれた《九相図》は、仏教の修行に由来して、人の死後の変遷を九つの場面にわけて絵画化することで、自他の肉体の無常を説いたものだ(参考:山本聡美『九相図をよむ 朽ちてゆく死体の美術史』、KADOKAWA、2015年4月)。屋外に打ち捨てられた死骸が、膨張し、腐乱し、損壊し、溶解し、色みを著しく変え、鳥獣に食い荒らされ、方々に散乱し、骨となり、最終的には焼かれて灰となる。火葬が一般的であり、戦災もない現在の日本で、屋外に打ち捨てられた人の死骸の一部始終を見ることはまずない。《九相図》は、肉体の無常に加え、生きものにとって死の状態が一様ではなく、なにより私たち人間も自然の一部であることを、視覚的に痛覚を刺激しながら教えてくれる。
もっとも《BOX FLOWERS》は、《九相図》にならえば溶解して色を変えるまでの変化であり、そもそも東自身《九相図》から本作を発想したわけではない。とはいえ、それでも《BOX FLOWERS》は《九相図》との大きな類似を見せる。《九相図》において死者のモチーフは、仏教の担い手である仏僧の多くが男性であったことから、性的な煩悩の対象として美しい女性が担わされることが珍しくなかったという。では花もまた、女性同様美の象徴としての役割を担わされてこなかったか。そう、永遠なるものがないことを知らしめる《九相図》は、仏教的な起源と意味を持つが、「永遠の美」への問いも大いに含んでいる。そしてそれこそ、美しいが永遠に生きることのできない植物による作品を通して、東がきわめて意識的に取り組んできた課題にほかならない。かつて東が《Frozen Flowers》(2010年)で、生けた花々を冷凍庫で凍らせることによってあたかも花の永遠を目指したのも、この問いへの別の角度からの返答である。私たちは東信を、植物を素材にしたフラワーアーティストという視点以上に、生命や美という歴史的にも今日的にも重大なテーマを取り扱う美術家としてまず認識しなければならないことを、《BOX FLOWERS》をはじめとした一連の作品は明らかに示している。
最後に想像してみよう。東にとってはじめての試みとしての《BOX FLOWERS》は、今回、屋内の締め切られたスタジオ内で制作された。次の機会、それが、開けた原野にぽつんとあったらどうか。
陽が照らし、風が吹き、土ぼこりが舞い、雨が降る野外で、自然に任せるまま朽ちていく《BOX FLOWERS》を目の当たりにしたとして、思うにそのとき私は、心で手を合わせている。美なるものとして人を一時魅了しながら、血のようなものを流し、これからは大地の新たな養分となる花の無常に対して。
《BOX FLOWERS》––花の永遠と無常に捧げる
小金沢智
BOX FLOWERS
May 25 – June 29, 2015
AMKK