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Burning Flowers

Date : June 21, 2016
Place : Oya Stone Mine, Tochigi, Japan

“Burning Flowers”

Date : 21 June, 2016
Place : Ex-pit for Oya stone, Tochigi, Japan
Size : W2,500 x D1,500 x H1,800 (mm)
Material : Flowers, fire

Flowers :
Doryanthes excelsa (Gymea Lily)
Dahlia
Gloriosa
Celosia argentea
Gerbera
Heliconia
Protea
Rosa
and more than 2,000 pieces of flowers


《Burning Flowers》——命の終わりの向こう側
小金沢智
1
命を表現するとはどういうことか? 作品を制作するとき、東信はそう自問する。生きている植物の姿形を自らの手で変換させる、ときには死にも至らせるということはどういう意味を持つのか。
それはエゴではないかという問いも生じているかもしれない。ただ植物を扱う技法の練磨を目指せばいいというものでもなければ、実験の名のもとに奇をてらったものを作り出せばいいわけでもない。
他者の命をもらいうけた上で行うのだから、その問いから外れてはならない。

花を毎日活けることは祈りであると東信は言う。東がオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を2002年に銀座に構えてから、今年で14年になる。
また、東がアートワークの制作を2005年にはじめてから今年で11年になる。命への感謝が、仕事を続ける日々の中で醸成されていく。
現在東の意識下にあるのは、花という命を表現するということの原点に立ち返り、そこから先へと進まなければならないということだ。

2
2016年6月21日、栃木県の大谷石採掘場跡地でひとつの作品が生み出される。
《Burning Flowers》は、ドリアンテス・エクセルサ、ダリア、グロリオサ、ケイトウ、ガーベラ、ヘリコニア、プロテア、バラなど2,000本もの花を用い、それらを活け、火で燃やすまでを一連の過程にした作品だ。
ガソリンとバイオエタノールをかけられ、火をくべられた花々は、もとの花々の大きさをはるかに超えて燃え上り、赤い色彩のものを中心に選ばれた花材は、炎の赤と折り重なりながら刻々と姿形を変えていく。
「花火」ではなく「火の花」だと東が述べるように、本来の花以上に命が短い「火の花」は、約20分間のひととき、燃えあがあり、命尽きる。
椎木俊介によって記録された写真と映像には、一時、まるで天に昇る龍にも似た炎の姿が写し取られた。

東に、火を用いた作品はこれまでにもあった。
2007年12月、AMPGの第9回目で東が発表した《モミノキモエル》は、冬の時期、町のあちらこちらにきらびやかな装飾とともにあらわれる、東自身も同時期仕事で多数取り扱うもみの木を燃やした作品である。
一年のわずか一時だけ必要とされるもみの木を用いたその作品は、東にとって花と消費をめぐる批評的な側面を持ちながら、緑色のもみの木と高らかに昇る赤い火とのコントラストが美しい作品でもあった。
あるいは、爆破という点から火の要素が作品に組み込まれた《Bombing of a dahlia》を、本作の前身と見ることもできる。
AMPGの第16回目、2008年7月に発表されたその作品は、ディスプレイの役目を終えた枯れる寸前のダリアを集め、火薬を仕込み、爆破したものだ。
ディスプレイという場にはふさわしくなくなってしまった衰えたダリアは、しかしまだ植物として生きており、爆破され燃やされることで死を迎えることになった。

東にとって作品に火を用いるということは、花を本当の意味で殺すことであり、それが逆説的に花を最期まで看取ること、最期まで活かすことにつながっている。

3
こうした、東が作品に火を用いてきたプロセスや考えがあると同時に、《Burning Flowers》が生まれた切実な背景がある。
2016年5月12日、日本を代表する演出家がこの世を去った。海外の古典から現代劇まで幅広く演出を手掛けた、蜷川幸雄その人である。

東は、蜷川の葬儀にあたって花を担当しており、もともとそれ以前からも仕事を受け、蜷川が入院していた病室では花を注文されていたという。
そして、そのとき東がオーダーされたのが、「人が最期に見る花」だった。

人は今わのとき、なにを思い、感じ、聞き、見るだろうか。当然のこと、人によって違うはずのそれは、しかし、誰にもいずれ必ず訪れる時間である。
東が託されたのは、そのひとつと言っても過言ではない。しかも、贈る相手は、演劇という芸能の世界で生き、これまで数え切れない数の花を贈られ、また自身も贈ったと想像される蜷川である。
そういった人物に対し、「最期に見る花」を贈るということの意味を、東はアーティストというよりも花屋として深く考えたに違いない。
東は、「オーダーを聞いてから、眠れず、怖くて逃げたかった。最初、作れないと思った」と語っている。

だが、長い間その仕事に対するストイックさに強い魅力を感じてきた蜷川に、東は花を贈る。そして、「花をやっていてよかった」と心から実感する。
《Burning Flowers》は、直接的に蜷川本人に捧げられたものではないが、亡くなってから一月が経つ頃に作られた、つまり東が「人が最期に見る花」について熟考をはたした先で生まれた作品にほかならない。
瞬間、燃え上がる命の火の花。死してなお美しいそのイメージは記憶に刻まれる。

4
東の作品や行為を見つめると、東にとって、「命を表現するとはどういうことか?」という問いは、「花を捧げるとはどういうことか?」という問いと表裏一体のように思える。
花を捧げるということは、命そのものと向き合う行為である。人が亡くなるときばかりではない。
祭礼をはじめとする特別なときだけではなく、日々の何気ない暮らしの中でも人は花とともに生きている。さりげなく一輪の花をコップに活けることもある。そうして自ら活けた花もまた、命と向き合うことに通じている。

戦後70年を経た2015年7月、スリランカを訪れ、コロンボ近郊のケラニヤ寺院で元スリランカ大統領のジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナへ献花を行ったことが、
東が花を贈ることの意味を考えることになった大きな契機だという。
東は海外での仕事も多いことから、日本の戦争観を海外特にアジアから見る機会を重ねるなかで、ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナを知り、同氏への敬意をあらわすために献花を行った。
スリランカは国民の大多数が仏教徒の国である。宗教の根底にある祈りに、このとき東は花を通して触れたと言えるのかもしれない。

火で花を燃やした《Burning Flowers》は、人によっては残虐と感じられるものだろう。
一方、それを仏教的な意味での火葬と解釈するなら、そうして死者の肉体を残さないように葬ることで、花を次の新たな生へと転じさせようとしているとも考えられる。
最期が、最期ではなく、次の命の誕生に通じる。「殺して活かす」と東がしばしば言うように、命を表現するということは、そのような生き死にの絶えず繰り返されるサイクルに身を投じるということではないか。

経験を積み重ねながらも、東は、「まだまだ花はわからない」と言う。そもそも命を表現するということが、ただひとつのやりかたに固執することであるはずがない。
ならば、本作のように火を用いるなどすることで「実験的」とも称される東の数々の試みは、花と真摯に向き合っていることのひとつの証左である。
そうして東がつどつど見出しているのは、死というひとつの終わりの向こう側にある、新しい命にほかならない。


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