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大地の上につかの間生み出され、時間の経過とともに消えていった作品がある。東信による《Back to the earth ツチニカエル》(2017年)は、ヒマワリやバラなど色彩の豊かな一万本の花を、草が生い茂る大地の上
に円形状に構成した作品である。屋外に展示された作品は太陽はもちろん雨風にさらされ日々その状態と形態を変えていく。色彩はあざやかさを失い、円形はその形を崩していく。2017年5月24日に設置され、作品の
変化を示す定点的な記録写真には、約一ヶ月後の6月20日には花々が置かれた草と大地に同化するかのごとく土に還っていったさまが写し出された。まるでそこには最初からなにもなかったかのように。
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原型となる作品がある。ほぼ2年前の2015年、《Back to the earth ツチニカエル》と同様、5月25日か6月29日までの約一ヶ月という短い期間存在した《BOX FLOWERS》がそれである。約200種類およそ6000本の切り
花を四角形の形に重ねることによってできたもので、高さ・幅・奥行きいずれも1200mm、重量にして200kgの巨大な花の塊は、時間の経過によって形がひしゃげ、水分を放出し、黒ずみ、黴び、かさは最終的に半分
程度となり、きわめて大きな変化を見せた。花を用いた作品制作にあたりその死も重要なテーマとなっている東にとって、重要な作品である。
そうして花がゆっくりと死んでいく様は、私に、死んだ人間が自然に還っていく様を九つの様相によって描き出した絵画《九相図》を連想させた。東が《九相図》から発想して制作したということではない。すでに
書いたことであるため詳述はしないが(小金沢智「《BOX FLOWERS》––花の永遠と無常に捧げる」2015年)、仏教的な由来を持ち、自他の肉体の無常を説いた《九相図》と、東が《BOX FLOWERS》を通して表現
しようとしていたもの––––美しいとされている存在が朽ち果てていく様の重なりは、東の表現思想と日本の自然観及び死生観との関係を深く検討することの重要性を改めて私に迫らせるものだった。そして、私は当
時のテキストの末尾にこう書いている。
「最後に想像してみよう。東にとってはじめての試みとしての《BOX FLOWERS》は、今回、屋内の締め切られたスタジオ内で制作された。次の機会、それが、開けた原野にぽつんとあったらどうか。陽が照らし、
風が吹き、土ぼこりが舞い、雨が降る野外で、自然に任せるまま朽ちていく《BOX FLOWERS》を目の当たりにしたとして、思うにそのとき私は、心で手を合わせている。美なるものとして人を一時魅了しながら、
血のようなものを流し、これからは大地の新たな養分となる花の無常に対して。」「小金沢智《BOX FLOWERS》––花の永遠と無常に捧げる」2015年)
それから2年を経て制作された《Back to the earth ツチニカエル》は、私のこの発言に対する東からの作品による返答にほかならない。
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ただし東は、《Back to the earth ツチニカエル》制作にあたって《BOX FLOWERS》をそのまま屋外に設置するということを行っていない。切り花を積み重ねることで四角状の花の塊を作った《BOX FLOWERS》と
は対照的に、《Back to the earth ツチニカエル》はむしろ平面的な切り花の配置によって円形を作り出し、それは厚みと重みのあるものではない。
重要なことは、それが円形であるということだろう。これまでの東の作品から想像するならば、こめられているのは禅宗の書画において悟りや仏性、宇宙などの絶対の真理をあらわすという「円相」からの発想に違
いない。おそらく東は美の象徴としての花と、絶対の真理をここで統合しようと試みた。絶対の存在として花を見做したのである。だが、東の作品はそこだけでは終わらない。すでに書いている通り、屋外に設置さ
れた作品は日々朽ちていく。花々による円相はかたちをゆがませていき、最終的には花々は風に飛ばされ、あるいは虫に食われ、または土に還り、のちにそこを訪れてもわたしたちはその痕跡すらつかめない。待っ
ているのは無であり、和紙に墨で書いた書画のように植物によって生み出された円は大地に定着しない。
そう、《Back to the earth ツチニカエル》には二つの死が重ねられている。花という「美しいもの」の死、そして円相という「絶対の真理」の死。けれどもここで気をつけなければならないのは、東は死を否定的に
捉えているわけではないということだ。東にとって花の死を考えるということはネガティブな行為ではなく、花の生と死の諸相に対し実験的な試みを繰り返し、そこに立脚することで新しい価値を作り上げていくこ
とに東の本懐がある。ならば本作は、禅宗における円相という伝統的な形式を持ち込むことで、花だけのことではなく、より広い視野から物事の価値を考えようとしたと言えるのではないか。すなわち、絶対のもの
とはいかなるものか?という問いである。
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そもそも、花によってできた円相は朽ちたのか? 痕跡としては残っていないが、土に還った花々はより広い場所で新たな命が生まれる糧となっているのではないか。生命は死を迎えたとき、その後まるでなにもな
かったかのようにこの世界から消えてしまうが、しかしそれは別の生命の生につながっているという確信が東にはある。花が死ぬまで、ですらなく、そのさらに先の土に還るまでを「円相」の思想も取り込んで作品
化した《Back to the earth ツチニカエル》は、生命にとって絶対的に不可避である死ぬことの切なさに抗う。ひとつの生命が土に還ったさきの、未来の生命の生と死の循環までがこめられている。
Back to the earth – ツチニカエル –
May 24 – July 8, 2017
Japan